人間として最低な教師達

 11月10日の夕刊に『「教師のいじめ」賠償提訴』の記事が載っていた。
 記事の概要は以下のとおりである。

 小学5年時の担任の女性教諭から差別的な発言などのいじめを受けたのをきっかけに、体を思うように動かせなくなる「解離性障害」を発症して不登校になったとして、福岡県中間市の中学3年の女子生徒と両親が市と女性教諭を相手取り、約1億5565万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。事件の経緯を時系列で並べると。

04年2月   :(4年生)てんかんと診断され投薬治療を受け、病状を女性教諭に伝える
04年4月以降:(5年生)女性教諭が担任になる。
          女性教諭による「頭の病気で口がゆがんでいる」、「とろい」といった発言だけでなく、
         手をあげ続けるよう仕向けるなどのいじめ
を行う。
04年5月   :生徒が「学校に行きたくない」と言い始める。
          同級生から「担任にいじめられている」と両親が聞く
          両親が学校と女性教諭に抗議するも、いじめが続く。
05年?     :(6年生)解離性障害と診断される。
05年12月  :女性教諭が「自分の指導が尾を引き、生徒が現在のような状態になったことに対し申し訳ない
          と差別的発言を認め、謝罪
06年以降   :中学入学後も同級生からいじめを受ける。一時入院
現在      :常時援助を必要とする状態。「治癒は著しく困難」との診断。
 両親は「原因を作ったのは女性教諭だが、小中学校のほかの教職員も解離性障害に適切な対応をせず、症状を悪化させた」と主張している。

 担任教師が生徒をいじめる等あってはならないことであるが、実際は頻繁に起こっているのは間違いない。新聞沙汰もしばしばある。
 私自身も教師に対する印象は非常に悪い

 私が小学生だった頃、教師達に人権意識は微塵のかけらもなかった。その当時、特殊学級と言っていたが、教師が率先して差別的発現はするし、そういう生徒を馬鹿にして相手にもしなかった。
 教師達の発言は今考えても凄い。「暴力団は義理人情を守るところは偉い」だの、「私は箸より重いものは持ったことはない。それだけ裕福な生活をしていた」とか、他のクラスから一時的応援に来たおばさん教師は音楽の時間に「こんな(外国の)曲は嫌いだ、この曲を歌おう(“てんてんてんまり”)」。挙句の果てには、「私立の学校を見学してきたが、親の熱心さがあんたらの親とは大違いだ!」。言いたい放題である。小学生なんて馬鹿のようにみえて、見ることはちゃんと見ているし、批判精神も正邪を見分ける目も大人と変わらない。現に私は40年以上前の教師の言葉を今でも覚えている。自分達の親を馬鹿にした教師は一生忘れないだろう。自分の好き嫌いで授業を進める教師が正常でないことくらい小学生でも分かる。

 私の印象では、学校の教師くらいいい加減で、出鱈目な人種もいないと思っていた。それはそうであろう。学校以外の世間を知らないのであるし、クラスに入れば唯我独尊でいられるのであるから。

 ところが、自分の子供の件では学校の先生に大変お世話になった。今の先生は、昔の先生とは全然違うんだと感じた。
 しかし、まだ、こんな前時代的な教師がいたとは。それも謝罪まで1年8ヶ月

 私は大学でほんの少しだけ教育課程の授業を受けた。
 教授が非常に印象的な事を言っていた。「生徒を受け持ったら、教師として最初にしないといけないことがある。まず生徒自身でどうしようもない病気や家族の問題等生徒が背負っている事がないか確認すること」。

 今回の事件の場合、生徒はてんかんであった。担任は本来、てんかんについて勉強し、発作が起きた場合の対処や同級生が病気についての無知によるいじめを起こさないように配慮する立場にあった。また、私はこのような病気は人類共通の遺産だと考えている。誰かが背負わなければならないのである。そう考えるならこの生徒をいたわりこそすれ、いじめることなどできないであろう。

 それをこの女性教諭は率先していじめた。ある意味、非常に可哀想な人間である。自分が五体満足なのは、前世の自分の努力だとでも考えているのだろうか。唯一つ言える事は、この女性教諭は完全に教師として失格である。それ以上に不思議なのは、同僚教師や校長、教頭、教育委員会は一体何をしていたのか。これが非常に不思議でならない。もし、同僚教師等がこの教師のいじめを知っていて対処しなかったのなら大問題であるが、同僚教師等が知らなかったとしても大問題である。

 教育の政治や外部圧力団体からの独立性は非常に大切な問題であるが、学級運営を担任のみの閉鎖的運営に任せて良い訳がない。副担任は1年8ヶ月の間何をしていたのか同僚教師は1年8ヶ月の間何をしていたのか知らんぷりか。「あなたのやってることは間違ってるでしょう」と何故言えないのか。教師の世界と民間の会社の世界は一緒に出来ないかもしれないが、同僚が注意できないとしたらやっぱり教師の世界は異常な世界である。40年前と何も変わっていない。

 学校が一つに纏まって、この問題、即ち、『教師同士がお互いに注意(協力)し合える状態を作ること』を解決できないかぎり、教師の世界が世間に認められる正常な社会にはならないような気がする。

(2008年11月13日 記)

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